全員好きじゃないといけないという呪縛

前置き:これは個人の感想・思考・意見であるということ。また他者の考えを否定するものでも、他者に強要するものでもない。

   

 

はてブロに、オタクやキスマイについて語るというのが流行っているみたいなので、PC立ち上げて書いています。

 

 

 

最近ヲタクをしてて荒れなくなったので私もその心境についてブログ書こうと思います。

 

荒れる原因に対して自分のツイートで意見をいうタイプのオタクなのですが、最近問題を見てもあまり感情が湧かないというか、一歩引いた目線で見ることが多くなりました。

 

荒れるコンテンツはいわゆるキスマイ間のいじり行動、疎外感を感じるような行動言動、第三者が見ているということに重点を置いていない発言等がよく原因となっているような気がします。

 

正直キスマイで荒れないのは宮田くんだけだと思っています。(超個人的意見)

そのぐらい毎年ポツポツと誰かの発言・言動で荒れているような気がします。

 

 

タイトルに戻しますが、

 

オタクって何かメンバー全員を好きでいないといけないっていう風潮がどこかありますよね。

私も全員を好きだからこそファンを続けられるという思いが最初あったんですよね。

でも考えてみると、アイドルだからと言って彼らも一人の人間であり、男性であり、好みの異性像だったり、理想像だったりするわけじゃないですか。

7人もいて、全員心からタイプでどんな人間性や考えでも受け入れる!信じれる!大好き!と言える人は少ないと思います。

 

人それぞれ性格が違うのは当たり前なんですが、特にキスマイは7人全員性格が違うというか、好みのタイプ分けでよく見る典型的な方が多い気がします。

 

似ているタイプで形成されたグループでないからこそ、好みも分かれる。

7人全員好きでいるということは結構難しい。

全員好きだということはファンを続けやすいと思います。

 

だだ必ずしも全員を好きでなければいけないという重りを外してみると

肩の荷が下りたような、少し楽な気持ちになりました。

 

私は北山担ですが、北山くんの””全て””が好きと言えるファンではありません。

そう言えるファンになりたいと思った時期もありましたが、どうも気になってしまうところがある。

でも、その欠点だと思う所を、好きだと思う気持ちの方が上回って今もファンを続けています。

 

”メンバー全員を好きじゃないといけない”という呪縛下ろしてみたら、

「キスマイ」の気になる所や好きな所を一歩引いた目で見れるようになり、

私はキスマイが7人じゃないと嫌だなという思いが再確認できました。

  

 

キスマイは個人担も多いけど、

 個人担になりそうな自分と戦っている人も多いよね。

 

オタクって周りの雰囲気に合わせてオタクするもんじゃないと最近思った。

そう思うことで自分の好きな所に目を向けれるようになった。

彼らの嫌いな所に目くじら立てたくない!と思えば思うほどドツボにはまる感じがして、

一時期私はキスマイ好きじゃないのかなとか不安になる時期があったんだけど、

それでも7人がパフォーマンスしている映像を見るのは好きだし、やっぱりテンションが上がった。

 

 

キスマイ7人は好きだ!

 

ただキスマイ7人全員の人間性が好きかといわれると違う。

 

私は彼らのパフォーマンスが好きなだけで、決して彼らの個人の人間性ではないんだなと思った。

 

私たちファンは彼らの性格を変えることはできない。

〇〇くんかわいそうという意見も見られるが、本人がどう受け止めているかは他人の考えであるからわかんないし、こちらも見せてもらえる所しかないから分からない。

何より叩きをしたって30年ほど生きている彼らの考えが一瞬でコロっと変わることなんてない。

なら他者を変えるより自分の考え方を変える方が良い。

 

 

私はキスマイ一人一人の人間性に嫌いな所もあるが、それを超えるパフォーマンス力が好きなのでこれからもキスマイという7人を推してオタクをしていくと思う。

 

私がキスマイに求めるのはパフォーマンスだということがわかってから、自分の見たいものを見ていくスタイルに変えることができた。

また特に誰か個人が嫌いという訳ではなく(これは元々だけど)、あの行動があんまり好きじゃないなとか、またそんなこと言うから荒れるんだよなぁ~的な俯瞰的な目で見れるようになった。

 

全員好きじゃないといけないっていう呪縛のような考えをやめてみたら、

自分の見たい所のキスマイ像がしっかり見えて、私は楽にオタクができるようになったよって話。